プロフィール

Mari Coaching Room 代表 コーチ 田代真理

コーチ歴15年。独自メソッド『3つの視点コーチング™』を生み出し、経営者や管理職から一般職、フリーランスなど幅広いクライアントの自己変容、人間関係の改善や転職など環境変革の実現をサポートしている。ロジカルで腑に落ちる説明が支持されている。また、自身が20年以上続ける手帳の使い方を『大人が整うノート』として「書くこと」を主体としたセルフコーチング術も展開。ノートを販売する企業へのアドバイスや監修も行う。

そもそも「コーチ」とはどんな仕事?

(インタビューをもとにテキスト化)

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「コーチング」という言葉を、最近耳にするようになりましたが、そもそも「コーチ」というのはどういうお仕事ですか?

田代

ひとことでいうと「ある特定の分野で成長し結果を出したい人を支援する仕事」です。野球などスポーツのコーチを考えていただくと分かりやすいと思います。

スポーツのコーチは、選手にただ技術を教えるだけではなく、身体、メンタルの管理など結果を出すために必要な、ありとあらゆることを選手と一緒になって考えます。

同じように、私は「自分の人生において成長し結果を出すこと」を、様々な角度からサポートしています。平たく言うと、「幸せに生きるために何をどうするか」です。

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なるほど。人生においてとか、幸せとかいうと、とても幅広くて抽象的ですが、内容はどんなことが多いのですか?

田代

具体的には、自己理解、対人関係の問題解決、業務の効率化、タイムマネジメントやコミュニケーションスキル、メンタルマネジメントなど具体的なことから、人生の方向性や目的、使命など生き方そのもののお話になることもあります。そのかたが、そのとき一番必要としていることですね。そもそも、何がその時必要なのか、ご自身で分かっていないことの方が多いですから、それを一緒に探っていく感じです。

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方法としては、どうやってそれらをサポートしているのですか?

田代

コーチとクライアントが1対1で対話すること、これをセッションといいます、が中心になります。私の場合は、セルフコーチングやコーチングスキルの講座も1対1で行っています。

クライアントのかたのお話をじっくり聞いて、そのかたが何をどう考え、何に問題を感じているのかを探り、その方にあった方法を提供しサポートしています。

カウンセリングとの違いは?

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病院などで行われるカウンセリングとはどう違うのでしょうか?

田代

カウンセリングは「ある問題を抱えていてそれによって心や体に変調がでている」かたに向けて行います。

カウンセラーの仕事は「重たい荷物を抱えて動けなくなっている人」の荷物をおろす手伝いをして、状態を「マイナス→ゼロ」にすることが目的。

一方コーチは「必要な荷物とそれを持てる体力筋力をつけさせて前に進ませる」のが目的で「ゼロ→プラス」の状態にしていくんです。

とはいえ、人によって言葉の定義は曖昧で、あくまで私は、ということですけど。

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「ゼロ→プラス」がコーチングなんですね。

田代

そうですね。ですから「もっとよくなりたい」「もっとよくなれるはずなのに」という向上心があるかた向きですね。

前には進みたいけれどその方法が分からない、今までのやり方が通用しない、方向性が定まらない、などというかたが、私のコーチングを受けてくださっています。

人生の転機であったり、人生のステージが一段階上がる直前、そんな方が多いです。

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コロナ禍のオンライン化で、企業などで上司と部下の1on1を取り入れるところが増えたようですが、そちらに近いのでしょうか。

田代

そのとおりです。企業での人材育成や人材マネジメントにコーチングはよく用いられています。ですので、自分自身がコーチングを受けると同時に、コーチングを学ぶ、という管理職の方も増えてきていますね。

どうしてコーチになったのですか?

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どうしてコーチになったのですか?なにかきっかけがあったのでしょうか?

田代

これを話すとちょっと暗い話かつ長い話になっちゃうんですが、いいですか?

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大丈夫です。

田代

実は私、14歳から24歳までうつ病を患ってたんです。そのあと10年くらいは、その後遺症みたいな感じで、自律神経失調症のような症状に悩まされて、まともに社会生活を送れなかったんですよね。

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そうなんですか!そんな感じには全く見えません。体も心も強そう…あ、すみません。

田代

(笑)よく言われます。体はともかく、今は精神的にはタフですから。でも、学生時代の友人とかが今の私を見たら、多分別人じゃないですかね。

今でこそ、うつ病とか自律神経失調症とか、世の中に認知されてきて、まあ、完全に理解があるとは思いませんけど…とにかく、私がうつ病になったころというのは、そういう情報も極端に少なかったし社会的な認知もあまりされていなかった。インターネットもなかったし。

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そうですよね。ここ10年くらいですね、そういう話が身近になったのって。

田代

そうなの。そもそもうつ病って、自分では気づきにくかったりしますし。私も自分がなんかおかしい、と気づいたときには、どっぷりうつ病になってて(笑)。まあ、中学生でしたしね。

でね、私の場合、原因が家族というか、祖母と両親の関係にあったもんだから、親に相談もできなくて。両親の教育方針が「自分のことは自分で」だったんで、相談とかほんと、したことなかったです。

気づいたところで病院の情報もないし、うつ病って病院に行くのがものすごく怖く感じる病気なんです。そもそも中高生がひとりでいけるものでもない。

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それはつらかったですね。大人の助けが必要だったと思うですが、中学や高校の先生は助けてくれなかったんですか?

田代

気にしてくれていた先生もいたとは思うんですけどね。私が無意識に拒否ってたんだと思います。

私、たぶんすごく嫌なガキだったんです(笑)。表面上は、成績がよくて品行方正で優等生で、 誰にも弱みを見せない。 出来すぎてて、口を出す隙がないと言うか。下手に口を出そうものなら、理路整然と10倍になって言い負かされる。みたいな。実際に先生を泣かせそうになったこともあります。

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…先生にとっては怖い生徒ですね。

田代

そうそう。先生かわいそうだよね(笑)。

それなりになんでもできちゃう、というかやっちゃうし、人に頼ることができなかったんです。そもそも先生に頼るって発想がまずなかった。というか、先生は勉強を教えてくれる人でしかなくて、それ以上関わりたくもなかった。

先生もそういうの、分かってたんじゃないですかねえ。良くも悪くもほっとかれてたんで。

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だれにも相談せずに病院も行かず…どうやってその状態から脱出したんですか?

田代

いまなら、インターネットで調べればいろいろ情報は載っていますし、本屋に行けば山ほど書籍も手に入りますが、20年以上前の地方の片田舎には本当になにもなかったんですよ。

専門書とかならありましたけど、それすら手に入らないし、そんな難しいの読んでも分からないし。

一番は、うつ病だって人に気づかれるのが、本当に恐怖だったんです。周りは気づいてたとは思いますけど、本人は必死で隠してるつもり。

なので、もうひたすら、自分で考えました。

自分が大嫌いで仕方がなかった学生時代

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「自分で考えた」?

田代

そう。自分がどうしようもなくだめな人間だと思っていて、とにかく自信がなかったんです。成績が良くても、良い友達に囲まれていても「どうせ私なんかだめな人間だから」と常に感じていました。自分のことがとにかく大嫌いで仕方なかったんですよ。今で言うところの、自己肯定感のかけらもなかった(笑)。

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今では想像もつきません。

田代

ですよねえ(笑)。

だから「どうして私は生きているんだろう」とか「どうして生まれてきたんだろう」みたいな哲学的命題から「なぜこんなことになってしまったのだろう」「なぜあの人はあんな事を言うのだろう、するのだろう」「どうして私はできないのだろう」「私が悪いからにちがいない」みたいなことを、ただひたすら悶々と毎日考えてました…我ながら暗い(笑)。

でも、なかなか答えが出ないんですよ。同じところをぐるぐる回ってしまって。毎晩泣きながら寝る、みたいな毎日でした。

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同じところをぐるぐる回ってしまうって、分かります。

田代

あのころは、何が問題かすら分かってませんでしたからね。

家の居心地がとにかく悪かったんで、意地でも学校には行ってましたし、もともと勉強もできたのが幸いして、浪人することなく国公立の大学には進んだのですが、その一番の理由は「とにかく家から出たい」でしたね。

本来なら自分の未来のことを考えて、いろいろ決めていく年頃に、私は未来に絶望していたんです。大学に行く大きな理由は「転地療養」だと思っていて、20歳くらいで死ぬと漠然と思っていました。楽しい学生生活、ではなかったですねえ。まあ、今となっては倍生きてますけど(笑)。

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なんだか壮絶ですね…。

田代

こういうこというと、そう感じちゃいますよね。でも、客観的に見れば普通に高校に行って、普通に大学に進学、一人暮らしを始めたに過ぎませんよ(笑)。

転地療養の甲斐あって、ちょっと元気になったんです。でもそれも一時的なものでした。まあ、根本原因が解決してないから当たり前なんですけど。

逆に、大学に入って半年くらいしたら、うつ病が悪化しちゃった。ここから2年くらいが人生のどん底ですね。

人生のどん底で気づいたこと

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どん底…。

田代

学校に行けない、外に出られない、人が怖い、ご飯を食べても味がしない、何をしていても涙が溢れてくる、笑えない。本当に顔の筋肉が動かないんですよ。だから私の成人式の写真ひどい顔してます。

どんどんひどくなっていって、どんどん周りから人がいなくなりました。仕方ないんですけどね。周りはハタチくらいで、人生の一番楽しいときに、うつ病の子とつきあえるような人はいなくて当然。

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今だからそう思えるだけで、当時はつらかったんじゃないですか?

田代

そりゃ、もう。

死ぬことも結構考えましたよ。「今死んでもきっと誰も悲しんでくれない」と本気で思ってまたさめざめと泣いたり。

でもやっぱり若かったんですよね。あと、割とメンタルが強かったんだと思います。生への執着が断ち切れなくて「この状況をなんとかしなければ!」という考えに、徐々に変わっていったんです。

そうやってほんと、ナメクジが這うより遅いスピードで、前に進んでは後戻りしてを繰り返しました。

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徐々に復活していったんですね。

田代

ずいぶん長いことかかっちゃいましたね。

でも、この時期に気づいたことが今の私の土台になっていますし、それがあったからこそ今の仕事もできているんで、人生なにがどう転ぶか分かりませんね。

まあ、でも、そんな心と体の状態だったので、まともに就職活動はできるわけもなく。逃げるようにして大学院に進んだんです。完全なモラトリアム人間です(笑)。

大学院中退という挫折

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大学院に行かれたんですか。

田代

でも結局、その大学院も半年でやめちゃったんですよ。直接の原因は、担当教授が病気になってしまって、それに対する大学側の対応がひどいものだったからですが、その頃には、私自身がかなり回復してきていたんです。

もともと研究職や開発職に就くことをぼんやりと想定して入った大学でしたが、周りの学友を見ていて「自分は研究には向いていない」とはっきり分かってきてたんですよね。

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研究職ってちょっと特別な感じがします。

田代

そうですね。向き不向きのはっきりした職業ではあると思います。

周りの人はみんないい人だったんですけど、私とは根本的になにかが違うと、いつも感じてました。そして、そこに一生懸命に合わせようとしている自分がいたんですよね。

でも上手にできなくて、クラスでは浮いていたと思います。コミュニケーション力、ひたすらなかったですし。

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コミュニケーションが下手…それも今では想像もつきません。

田代

いやあ、ひどかったですよ。うつ病とかのせいもあったと思うんですけど、知らない人と話すのはもちろん大の苦手だったし、超あがり症でした。人からどう見られているのかが気になって気になって怖くて仕方なかったんです。電話とか、上がりすぎて相手が何言ってるのか聞き取れないとか、ざらでしたね。

仲の良い人とでも、気持ちの良い会話はしてなかったと思います。そう思うと、ほんとその頃の友人には悪いことしたな、って思います。

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いろいろ努力されたんですね。

田代

まあ、そうなるんでしょうね。でも、本人は努力したっていう気はないんです。ひたすら生きるためにしかたなくやった、って感じなんで。

このままでは大学院を修了できない、大学院を修了したとしても研究職に就きたいわけでもない。「じゃあ、私なんでここにいるんだろ?」ってなっちゃった。

そう思ったら、居ても立っても居られなくなって、スパッとやめて、実家に帰ったんです。

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思い切りましたねえ。逃げ出してきたお家に戻ることに抵抗はありませんでしか?

田代

ものすごく葛藤しました。ホントは実家に帰るのは怖くて仕方なかったんですが、背に腹は変えられないから(笑)。両親はそういうところ、寛大なんで、何も聞かずに受け入れてくれました。

祖母は相変わらずで、それからもずいぶんと悩まされましたけど、私も成長してたんで、なんとか騙し騙しやってましたね。

コーチングとの出会い

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そうして就職されるんですね。

田代

ええ、そうです。いくつかのカフェでアルバイトしたあと、シアトル系コーヒーストアに正社員として入社しました。

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もしかして緑色の人魚のマークのところですか?

田代

はい。今では押しも押されもせぬ大企業ですが、その頃はまだ500店舗なくて、ペイストリー(お菓子などフードのこと)がマズくてどうしようっていうときでしたね。キャラメルマキアートもフラペチーノも、たぶんまだやれば作れますよ。

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研究職とカフェではずいぶん方向性が離れている気がするのですが…。コーヒーがお好きだったとか?

田代

いいえ、ぜんぜん。私、それまで紅茶派でコーヒーってほとんど飲まなかったんですよ。というか飲めなかった。そしたら、毎日コーヒー飲まされて、気づいたら好きになってたという(笑)。

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(笑)。好きになれてよかったです。ではどうしてその会社を選んだんですか?

田代

そのころ私「場所」というものをすごく欲していたんです。それまでずっと、家にも学校にも「自分の居場所」がないと感じ続けていたから、そうじゃない「どこか」がほしかった。

その会社が「サードプレイス(家庭でも職場でもない第3の場所)」を謳っていたんです。「これだ!」って思って。カフェも好きだったし、自分でやってみたいともうっすら思ってたから。

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運命の出会い。ですね

田代

そうですね。まさしくそう。なぜなら、私がコーチングと出会ったのはこの会社だからです。

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なんと、ここでコーチング。そういえば、どうしてコーチになったのかを聞いていたんでしたね(笑)。

田代

やっとです(笑)。長々すみません。

あの会社の接客って独特でしょ?今は他のところも似たようなところはあるけれど、当時はほんと、斬新だったと思います。

その秘密が人材育成にあったんです。その人材育成で「コーチング」が取り入れられていた。

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なるほど。ここでコーチング。

田代

コーチングに初めて出会ったときの衝撃、今でもはっきり覚えてます。「わあああああーーー!!!!!」って。

コーチングを学んだきっかけ

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「わあああああーーー!!!!!」 ですか。

田代

「私が今まで考えてきたことが、全部ここにある!」って興奮したんです。「私がやってきたこと、間違ってなかった!」って初めて認められた気がしたんですよね。

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それは嬉しいですよね。

田代

それはもう、感動しました。私がそれまでやってきたことって、外からは評価されにくいことだったんですよ。

実生活はまるでダメ人間で、やってることっていったら精神的なことであったり、頭で考えることばかりです。

すっごく頑張っても他人には理解されない。自分がどれだけ傷ついてそれでも立ち上がってを繰り返していても、周りからは見えない。それって、私としては、やっぱり悶々とすることだったんです。

実体験で身につけてきたことを言葉にして人に説明するのって、技術がいるし難しいじゃないですか。ボールがいくら上手に投げられても「どう投げてるか」が説明できないみたいに。

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分かります。

田代

それが、目の前で、1から10まで体系立てられて展開してた。あの感動は今でも忘れられない。

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それで、コーチングをやりたいと?

田代

私の中にある混沌としたものを、うまく整理できるかも、と思ったんです。あとは、「資格」という形にしておけば人から理解されやすいだろうな、と思って。それでコーチングスクールに通うことを決めました。

転職を繰り返した会社員時代

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では、そこで働きながら、コーチングの資格を取られたんですか?

田代

なら良かったんですが、人生そんなに甘くなくて…(笑)。職場は二交代制のシフト勤務だったんですけど、うつ病あがりの体には、それが耐えられなくて、体調を崩してしまったんです。病名は「自律神経失調症」でした。

会社はそういうのすごく理解があって、勤務時間とかすごく考えてくれたんですけど、迷惑をかける一方だし、結局辞めざるを得なくなりました。

自分で辞めると決めたとき「ここにもいられなかったなあ」と、ものすごい自己嫌悪に陥りましたね。

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せっかく入った会社ですもんね。

田代

ええ。いい職場だったんですけどね。一緒に働いていた仲間にも、私を採用してくださった人事のかたにも申し訳なかったです。

コーチングの資格は、次に転職した会社にいるときに取りました。今でこそ、コーチングのスクールってたくさんあって、ある程度選べますけど、当時はまだ少なかったんです。

名古屋で対面授業で資格の取れたのはそのとき1つだけ。そこに2年間通って、なんとか資格を取ることができました。

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大変でしたか?

田代

大変ではなかったんですが、かなり時間はかかりましたね。早い人なら半年とかで卒業できるところを2年かかってますから。ペースは遅い。でも楽しかったです。

コーチングを学ぼうというひとって、やっぱり他者を理解しようという姿勢のひとが多いんですよ。あと、年齢的に上の方が多かったので、居心地はよかったです。

ただ、資格試験のときに、辛かった時期のフラッシュバックが起きて大泣きしてしまって(笑)。1回試験落ちてます(笑)。

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資格を取られてすぐにコーチを始めたんですか?

田代

いえ。コーチとして独立するのはそれから8年後です。それまでは、いろんな職場を転々として、普段の生活でコーチングスキルは使ってました。

自分の中で人として未熟だったし、スキルもまだまだでしたし。そんな人間がコーチなんてやってたら、嫌だなって思って。

この間、コーチングの他にもいろいろ勉強して、私がそれまでにやってきたことがどうも認知療法だったらしいとか、知らず識らずのうちにセルフカウンセリングをやっていたらしいとか、後付けの知識で気づきましたね。

おかげで、人への不信感とか、自分への自信のなさとか、この時期にずいぶん改善しました。私の中ではこの時期を長いリハビリ期間と呼んでいます(笑)。

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いろんなところでいろんな人と出会いながら、知識を吸収して成長したということですね。転職もそのためですか?

田代

いえ、全然そうじゃなくて。パニック障害でぶっ倒れて体調が悪化して辞職とか、会社がなくなっちゃうとか、上司の嫁にストーカーされるとか止むに止まれぬ理由が多い(笑)。

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なんかサラッとすごいこといいましたよね。

田代

まあ、ここらへんはまたの機会にでも。なんで、転職のまつわるエトセトラには詳しくて、クライアントさんが転職するときには役に立ちましたけど(笑)。

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転んでもただでは起きない(笑)。

田代

ははは(笑)。

そんなだったので、生活も全然落ち着かなくて、周りが恋愛だ結婚だ出産だといっていても、私自身はいつもそれどころじゃなくて。

着実に人生の歩みを進めていく周りの人達をみて、焦るどころか「すごいなあ、えらいなあ、ちゃんと大人になってるなあ」って本気で思ってました。少しは焦ったほうが良かったかも(笑)

コーチになったのは「昔の自分を救うため」

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コーチとして独立を考えるようになったのはいつ頃ですか?

田代

30歳くらいのころですかねえ。「コーチを仕事にできたらいいな」と思い始めたのは。

私、小さい頃から「夢」がなかったんですよ。大人って「大きくなったら何になりたいの?」って聞くじゃないですか。あれ、まじ困った。いつも適当に答えてました。

さっきからお話しているように、若い頃は眼の前のことで手一杯で未来のことなんて考えられませんでしたから。

それまでは周りが期待しているから、用意されているからといった理由で、自分の進む方向を決めて来ていたんです。

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自分で方向性を決める、きっかけかなにかがあったのでしょうか?

田代

具体的な出来事はないんですが、自分が元気になったときに**「昔の私がコーチング的な考え方を知っていたら、もしくは周りの大人がひとりでも知っていたら、うつ病なんかにならなくてすんだのにな」**って切実に思ったんです。

なってしまったものは仕方ないですけど、うつ病なんてならないに越したことないですよね。めっちゃしんどいんで。そのためには予防が必要です。

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そのとおりですね。ならないに越したことはないです。

田代

風邪とか生活習慣病とか、健康維持のための情報って今はたくさんあるじゃないですか。そしてそれにみんなそれなりのお金や時間を費やしてます。

だったら同じように「心」の病気の予防があってもいいじゃないですか。

なってしまったらそれは一刻も早くお医者さんにかかるべきだと思いますが、かかったときには本人は相当つらいんです。それじゃ意味がない。

私自身がうつ病になる前に、実はなんとかできたって、今は分かっているんです。

今の私なら、昔の私を救えると思う。だけど、それはもう無理なんで、せめて他のひとの役に立てたらいいなと思っています。

3つの視点コーチング™誕生のいきさつ

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現在は「3つの視点コーチング™」というサービスを展開されているようですが、これはどういったものですか?

田代

たくさんの方とセッションをさせていただいているうちに、過去の自分を思い出すことがよくあったんです。目の前のクライアントの方が、昔の私と同じようなところでつまづいていることに気づいて、どうやって解決したっけ。みたいな感じで。

あとは、コーチングスクールや本で学んだことが、「この人はとても簡単にうまくできるのに、この人には全く通用しない」という場面に多く出会いました。

そうやって実践を重ねているうちに、大きく原因が3つに分けられるなあと。それが「視点」が基にあることが多いなと気づいたんです。

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「3つの視点」ですね。

田代

そうです。心理学や脳科学から得た知識と、自分の経験と、クライアントさんやたくさんの方の相談内容から「3つの視点コーチング™」は生まれました。

答えのなかなかでない問題って、これだと思う原因が見つかるだけで、かなり楽になるんですよ。

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確かにそうですね。病気でも病名がわかったほうがいいですよね。

田代

私自身、いろんな勉強をしても、結局、知識としてあるだけで、自分に当てはめると全然分からない、みたいなことを散々繰り返してきたんです。

コーチングは「質問」を大切にするスキルです。その中の代表的な質問に、「やりたいことはなに?」というのがあるんですけど、私自身それを聞かれても、答えが出ない。どれだけ考えても、全然見つからない。さっぱり分からない。そして、分からない原因も分からないという期間がすごく長かったんです。

でも、頭では分かるじゃないですか。「そりゃ、自分のやりたいことをやったほうがいいだろう」って。で、そのときの私が考える「やりたいこと」を探してやってみるんです。でも、結局それは、ほんとうの意味での「やりたいこと」を理解しているわけではないから、やっても「うーーーん」ってなっておしまい。みたいなことを繰り返してました。

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言ってることは分かるけど、できない、ということはよくあります。

田代

そうなんです。知識を得ることはとても素晴らしいことですし、それが始まりですけど、分かった気になっちゃうのが一番怖い。なぜならそれ以上、自分で考えないし動かなくなるから。それが間違った理解でも、実際、行動したら通用しないことでも、気づかないまま過ぎていけるから。

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耳が痛いです(笑)。

田代

(笑)。行動するのって、口でいうより難しいですよね。

「3つの視点コーチング™」は、物事を単純化して理解しやすくするためのツールです。

行動するためには、本人が「ああ、それ分かる、納得できる」っていう感覚が一番必要で「だったらこうしてみよう」と自分の感覚と頭で動くことが大事なんです。いくら理論や方法を知ったところで、自分のこととして、それが使えないのなら意味がないので。

健康維持のためにはウォーキングがいいと知っていても、知っているだけでは病気の予防にはならない。それは分かっているけどできない、それが人間です。病気になってしまえば必死で治すでしょうけど、それでは遅いんです。

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健康の大切さを実感しないと動かないものですよねえ。お酒とか食べ過ぎとか、体に悪いと分かっていても、なかなかやめられない。ダイエットもなかなかできないし(笑)。

田代

心も同じで、心にとっての悪い習慣、良い習慣というのがあります。普段は意識していないですけど、悪い習慣を続ければ、日常に問題が起きるし、ひどければ病気になります。

自分がどんな悪い習慣を持っていて、それが原因で起きている問題に気づき、それを治すためのツールが「3つの視点コーチング™」なんです。

『正体不明のモヤモヤ』 を抱える人へ伝えたい

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なるほど。では、最後にどんなかたに「3つの視点コーチング™」を知っていただきたいですか?

田代

基本的にはすべての人、なんですけど(笑)。特にというなら、幼い頃から真面目で優等生だったり、勉強や仕事ができるから、それなりの地位にいたり、賢くて、器用で、人当たりも問題なくて、周りからは何の問題もないんじゃないか、と思われがちな人ですかね。

実際、私のクライアントさんはそういうかたが多いです。

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そういった方は、どんな問題を抱えていらっしゃるのでしょうか?

田代

こういう方々って、陰でかなり努力してきているんです。勉強とかはもちろんですが、実は気苦労が人一倍多い。

子供の頃から、頭がいいおかげで、とにかくいろいろ分かっちゃうんですよ。周りからの期待とか責任とか、知らず識らずのうちにそれを全部自分で背負い込んでたりします。

それでもやってこられちゃうから、その苦労に周りが気づいてあげられない。

そうやってこれた自分に自負もありますし、とにかく自分に厳しいんですが、それが当たり前になっています。向上心も強いので「自分なんてまだまだ」という不安感もありますね。

「周りから求められている自分像」をうまく演じられるので、他人のことはよく分かるのに、自分のことがよくわからないなんてこともあります。

問題意識が高く、それに対する解決方法を自分で見つけて解決するのも得意。さらには、自分にも厳しいので、他人を頼る、ってことに意味を感じなかったりする。

そもそも、周りの人より能力が高いことが多いので、相談するにもする人が周りにいなかったりということもあります。

この状態、ホント危険です。いつかポキリと心が折れてしまう可能性が高いから。

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そうは見えない方が多くて、結果ひとからの助けも少ない、と。

田代

そうなんです。本人すらそのことに気がついていないこともよくあります。

ただ、「なんだか窮屈な感じがする」「なんだか満たされない」「虚無感がある」など、『正体不明のモヤモヤ』を抱えている人は少なくないと思います。

「こころからやりたいことがない」「特にたのしいことがない」と内心感じていても、それって周りからはそう見えないので、理解されにくいんです。

私自身がまさしくそうだったので、すごくよく分かります。

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なんでもやれるのに、やりたいことがない?

田代

ええ。どんなことでも「まあ、やればできるだろうけど、心からやりたいことかと言われるとよくわからない」んです。それに危機感を抱いている。

でも、「このままでもいいけど、良くない気がする」とか言われても、周りの人は正直困りますよね。それも分かっている、でも本人はそうとしか思えない。

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複雑な心境なんですね。難しい…。

田代

そう思われてしまうから、そういうことを人には言わないという人も多いですね。こういう人は、私のところへ来てほしいです。私はそれが実感として分かります。分かる人がいる、共有できる人がいるということだけで、ホッとされるクライアントさんも山ほど見てきました。

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分かってもらえると、安心します。

田代

そういうかたは、「頭でわかっていても、心がついてこない」そんな状態が普通になってしまっていたりします。「自分はそういう人間だから仕方がない」と諦めてしまっているんです。でも、それ違いますから。

私は、それをどうやって克服すればいいのかの答えも持っています。私自身がそういう人間で、実践を重ねて克服してきたわけですから。

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力強い言葉ですね。本当に自分を変えることができそうです。

田代

情報社会やコロナ禍など、ちょっと前の環境や常識がすぐに移り変わっていく時代です。今までの古い価値観ではどうも無理っぽいぞ、なんか辛いぞ。って肌身で感じていても、それを実際どうにかできると、思えない方も多いですよね。

変えられないものというのは多くあります。でも、本当は変えられるものを変えられないと思いこんでしまっていていることもあるんです。それこそを変えられるのが「3つの視点コーチング™」です。

「3つの視点コーチング™」を知っていただいた方たちは、「これを知れただけでもほんとうに良かった」と口をそろえて言ってくださるし、実際に周りの人に伝えてくださったりもしています。3つの視点にしろ、コーチングの技術にしろ、すべての人が「当たり前に」使っている、そんな世の中になったらいいな、と思って、この仕事をしています。そうしたら、もうちょっと、この世の中は優しくなるんじゃないかな。って

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優しい世界、ですね。

田代

そうですね。実現したら最高ですね。

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自分が大嫌い、コミュニケーションが大の苦手で、うつ病や自律神経失調症などの病気や、 大学院を中退、度重なる転職と、様々な経験を乗り越えられてきたからこそ、その言葉には重みがあります。

なんだか、話しているだけで、勇気が湧いてきました。今日はありがとうございました。

田代

こちらこそ、ありがとうございました。