必要を感じるけど「人をほめるのがどうも苦手」なリーダーがまず見直すべきこと

ここ何年かで「ほめて伸ばす」という人材育成の方法をインターネットや書籍でよく見かけるようになりました。実際にそれを取り入れているという一方で、「人のことをうまくほめられない、うまくいかない」という相談もよく受けます。

今回は「ほめる」とはそもそもどういうことなのか、そして、ほめるのが苦手な人が見直すべきことについて解説します。

目次

そもそもどうしてほめるのか?

「部下をほめられない」というかたに「どうしてほめる必要があるのですか?」と聞いてみると、「やる気を出させるため」 「成長してほしいから」 「厳しいばかりでは動かないから」 「感謝しているから」 「みんな頑張っているから」 など、仕事と仲間に対する熱意や愛情や責任感をしっかりと語ってくださいます。

これって素晴らしいことですよね。普段から考えていることだからこそ、すらすらと自分の言葉で話せるのです。自分の仕事に真剣に取り組んでいるという証拠です。

ですので、それをそのままお伝えすると「そんなことありません。あたりまえのことです。というか実際には上手にほめられていないわけですし…。」と返される方がほとんどなのです。

照れ隠しというわけでもなく、本心でそう言っていることがうかがえ、すこし残念な気分になります。

ほめられない2つの原因

「ほめて伸ばすのがいいらしい」と聞いて、本などを読んで勉強したけれど、実際にはうまくいかなかった。こういうときは、どんなことが原因なのでしょう。

本には具体的な例やほめ言葉が載っています。しかし、ほめ言葉のレパートリーをいくら増やしても、言い方に工夫を凝らしてもうまくいかない、自信が持てない、という方はいます。

ほめることができない理由は、大きくふたつに分かれます。

①ほめることが見つからない
②ほめるところはあるが、うまく伝えられない、伝わっていない気がする

このどちらかです。

本当にほめることがひとつもない、という困った人もいるかもしれませんし、そもそも相手との関係性がいまいちで、コミュニケーションが成り立っていない、ということもあるかもしれませんが、「部下をほめられない」と悩むかたは、真面目に仕事に取り組んでいるだろうし、そのための人間関係にも注意を払っているはず。

そういった方が「ほめられない」のには、実は、ほめる本人が「ほめられ下手」であることが、原因だったりします。

「ほめられ下手」と「ほめられ上手」

一度「自分はほめられ上手か?」と考えてみてください。

「え?ほめるのはまだしも、ほめられるのに上手も下手もないでしょ」と思われたかもしれませんね。

人を育てる立場にいるということは、仕事ができる人なのでしょうし、今まで人からほめられたり、会社から評価される機会も割とあったのではないでしょうか。

「ほめる・ほめられる」というのは個人的な体験であり、その蓄積です。習慣といってもいいでしょう。人をほめるのが気恥ずかしい、という人は、自分がほめられるときも「照れる、恥ずかしい」という気分になることが多いはずです。謙虚が過ぎて「そんなことないです」とおもわず、否定してしまう人もいます。

または「もう言われすぎてて、感情が動かない」という人もいます。つまり、ほめられることに、慣れてしまっている状態ですね。

どの状態にしろ、これは「ほめられ下手」なのです。

「ほめられるのが上手」というのは「ほめられた内容を素直にそのまま受け取ることができ、それを素直に喜んだりして、自分の力にできること」です。感情を言葉や表情に出すか出さないかは別として「私はこれでよいのだ」という「自分を肯定する気持ち」が他人からもたらされ、それを自分が受け入れることをいいます。

つまり「ほめ言葉を受け取れていない」状態にすぐになってしまう=「ほめられ下手」なのです。

ほめられ下手の原因は「優等生」?!

では、どうして「ほめられ下手」になってしまっているのでしょうか?

原因のひとつとして、幼い頃から優等生であったということが挙げられます。ここでいう優等生というのは、勉強ができるとか、大人の言うことをよく聞く「いい子」といった意味合いです。

優等生というのは、とかく大人の期待を一身に背負います。大人の方も悪気があるわけではないのですが、たくさんのことを優等生に求めがちです。例えば、勉強は人よりできて当たり前、お行儀もよくて当然といった具合です。

優等生である子供も、その大人の期待に一生懸命応えようと、言われたことはおそらく1、2回言われれば、すぐにできるようにしてしまいます。もともと賢いですし、素直ですし、器用ですからね。「靴はぬいだらそろえなさい」と言われれば、優等生はすぐにできます。大人もそれをみて「そう、それでいいのよ」とはいっても、次回からはなにも言わないでしょう。

なんでも「できる、できている」ことが前提で、それに対しては「当たり前」という認識です。当たり前のことを当たり前にしていては、大人から認められることはありません。

なので、その時点で「できていない」ことを「できるようにする」ことが優等生が大人に認められる唯一の方法になり、それを追い求めることになります。

「できること」より「できないこと」に注目してしまう

学校でもそうです。特に優踏生が行くような進学校や塾では、テストの点数が重要視されていたことでしょう。そこでは「95点取れたこと」ではなく「あと5点が取れなかったこと」が問題視されます。本来なら95点取れたことは、認められ、ほめられるはずのことなのですが、それは無視されがちです。

取れなかった点数、できなかった問題をいかにして潰していくかが勉強ですから、いたしかたない面もあるかもしれませんが、努力してもそれが「当たり前」で、できなかったところをできるようにすることが大切なのです。

こうした経験を重ねた優等生は「“できること”はあたりまえで、“できないこと”をなんとかしなければならない」という思考に偏っていきます。

ほめればほめるほど冷めることも

そもそも優等生の「できる」レベルは初めから高く、周りから見れば十分だと言う場合も多いです。ですが、できて当然のことをほめたところで、喜ぶことはありません。現時点での「できない」部分しか目を向けられなくなっているために「自分はできていない」と考えているので、できている部分を軽視しがちなのです。

これがが「ほめ言葉を受け取れていない」=「ほめられ下手」な原因です。

人は「当たり前」のことは日々考えないで生きています。それが「当たり前」ということなのですから、当然です。「できることが当たり前」である以上、「できること」を考える瞬間すらない、ということになります。

いくら「できて当たり前」のことを人から、ほめられたとしてもそこには何の価値も見いだせません。「なにをあたりまえのことをこの人はすごいというのだろう、意味がわからない」といった感じです。

受け取る準備ができていない以上、周りがどれだけ心をこめて賛辞を伝えたとしても、受け取る側は冷めていく一方なのです。

経験的に如才なく「ありがとう」と口では言える人であっても、そのほめ言葉を心では受け取れていない可能性もあります。

そしてこの「ほめられ下手」こそが、実は「ほめるのが下手」な人を生み出しています。

「できて当然」では、ほめられない

ほめることができない理由は、①ほめることがない、②ほめるところはあるが、ほめ方が分からない、うまくない、このどちらかでした。

そもそも「ほめる」というのは「できているところをできている」と認めることであったり「私はそこがいいと思っている」という肯定的な個人的主観を伝えることです。「できている」ことに気づいて、それを「それいいね、すてきだね」と思うことから、ほめることは始まるといえます。

「できることがあたりまえ」では、そこが「ほめる対象」にならないのです。

また、気づいたとしてもそれに対する個人的主観が薄く感情が動かないので(これについてはまたどこかで書きます)「いいね、すてきだね」といった感情が生まれにくいのです。

簡単に言うと、自分にも他人にも無意識で求めるレベルが非常に高いのです。

人は自分と他人は同じものだという間違った認識を持ちやすいものです。ですから、自分ができることは、当然ながら相手もできるし、それはあたりまえでほめる対象ではありません。

ほめても良いと思っているのは「できないことをできるように努力しているとき、もしくはそれができたとき」だけです。自分があたりまえにできているレベルに達していない人に対しては、厳しい話ですよね。

「①ほめることがない」と思ってしまう場合は、これを見直してみてください。

まずは自分がほめられ上手になろう

「できないことにフォーカスするクセ」というのは誰にもありますが、先述の理由でいうと、とくに第3視点が強めの方に多い傾向です。

どんな世界にも、上には上がいます。広く客観的な視点である第3視点の人から言わせれば「自分はいつまでたってもまだまだである」というのも、分かります。それが、成長の動機であることも、成長し続けていないと不安になることも分かります。

しかし、それが自分自身を追い込んでいることも、気づいているはずです。

100点満点に足りない5点ではなく、できている、その95点の範囲の中で頑張っている人はとても多いのです。あなたから見たら45点と50点の5点差は、取るに足らないものかもしれませんが、その5点はあなたが100点にしようと求め続けている残りの5点となんら変わりはありません。

まずは「自分ははできてあたりまえ」なことに、目を向けましょう。初めのうちは全く見つからないし、気づいたとしても「そんなあたりまえのこと」と感じてしまうと思います。それでいいのです。

続けるにつれ、抵抗感が減っているのに気づくはずです。そして誰かからほめられたときに、「確かに私はできているかもしれない」と感じることができるようになり、ほめられ上手になっていきます。

それと同時に「①ほめることがない」ことはなくなりますし、「②ほめるところはあるが、うまく伝えられない、伝わっていない気がする」といった悩みもなくなります。

なぜなら「ほめる」とは特別な方法ではなく「思ったことをそのまま素直に口にするだけのこと」になるからです。心からの感情がのった言葉は、その言葉ヅラがどうであれ、相手に伝わりやすくなります。それが一見、分かりやすい「ほめ言葉」でなくとも、伝わるものです。

以上を試してみても、どうしても

「ほめるところも見つけられるし、ほめられる。けれど、どこか「頭で理解して」やっているだけで、ほめられて心から嬉しかったり、本心からほめたような気がしない」

「こんなことで他の人は喜ぶんだな」と冷めた目で見てしまう

「思ったことを素直に口にできないけれど、それが自分の性格だからどうしようもない」

など、うまくいかない場合は、自分自身の視点のバランスが大きく崩れてしまっている可能性があります。「なにをどうしたらいいかよくわからないけど、なんかこのままじゃ、私やばい気がする」と思うなら、視点のバランスを整えていくことに注力したほうが良いでしょう。

まとめ

【悩み】
人をほめる必要性は感じるが、苦手でうまくできない

【原因】
①ほめることが見つからない
②ほめるところはあるが、うまく伝えられない、伝わっていない気がする

=優等生過ぎて「ほめられ下手」である可能性

【対処法】
「できていて当たり前」から抜け出すこと。人にそれを無意識に求めていることに気付くこと。
どうしてもうまくいかない場合は、第3視点にバランスが偏りすぎている、固定している可能性がある。

田代 真理
Mari Coaching Room 代表
メンタルコーチ。コーチ歴15年、手帳歴18年。「3つの視点」にフォーカスした自分と周囲を変革するための独自メソッド1on1プログラム「3つの視点コーチング™」と手帳を使ったセルフコーチング・自作テンプレート「大人が整うノート」を提供中です。
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