手帳は毎年買うんですが、書くことが少なくて、手帳の白紙ページや空欄がたくさんできてしまいます。
それがどうしても気になってしまって「埋めないと!」って焦るし、なんか自分が「できないひと」みたいで、気分が下がることもあるんです。
ぎっしり埋めることが「手帳を使いこなす」ことではないニャ。
空白には空白の意味があるニャ。
「スケジュール帳に空白の日があると、なんか不安になる」
「1日1ページの手帳なんて、白紙ばっかりになって絶対に使えない」
何も書くことがなかった、書けなかった日の手帳のページというのが気になって仕方がない、という気持ち、ありますよね。
「せっかく買ったのに、使わないのはもったいない」という気持ちもありますが、それよりも
「予定が何も入っていない=時間を無駄にしているのではないか、必要とされていないのではないか」
「自分は手帳を使うことができない=自分は能力が足りないのではないか」
「自分で書くと決めたのに、書けていない=できない自分に自信がなくなる」
というちょっとした不安や焦り、罪悪感をおぼえたりしちゃってないでしょうか。
そうなると、言葉にはっきりできなくても「手帳の空白」が怖くなってしまいます。
そう言われれば、そんな気持ちになっているかも…。
そんな気持ちになれば、手帳を見るのがイヤになってもしかたないニャン。
「手帳を使いこなすとは、ぎっしり文字で埋めることなんだ!」という漠然としたイメージが、頭のどこかにあると、手帳の空白は怖くなります。
なぜなら、「手帳を文字でぎっしり埋めて使うこと」が「自分の役に立つこと」「必要とされている証拠」「自分が成長すること」とイコールになってしまっているからです。
どこかで見た誰かの手帳、そしてそれが自分が理想としている生き方をしているひとだったりすると「手帳をぎっしり埋めるぐらいやって当然なんだ!」という思い込みにとらわれてしまいます。
そうそう、憧れの先輩が手帳をぎっしり書いてて、かっこいいなあって思ったことがあったっけ。
憧れるのはいいけれど、手帳の使い方だけを真似てもあんまり意味がないニャ。
その2でお話していますが、手帳というのは「必要とした結果」が紙面上に表れてくるものです。
その人の考えたことや思ったことが、目に見える形に現れてきているものなんですよね。
人の頭の中なんてそれこそ千差万別。同じものはありはしません。
手帳をぎっしり書ける人は、それを書けるという能力も含めて、そういう頭の使い方を日々している、ということです。
その頭の使い方を真似せずに、結果だけを真似するのはやっぱりできないものなのです。
頭の使い方が違うw。確かに先輩みたいな頭の使い方は、私にはできないかも(やっぱり憧れるけど)。
自分の頭の使い方を極めていったほうが、しあわせになれるニャ。
ちなみに私は、ぼーっとする時間が、人よりもたくさんないとだめな人間です。
睡眠時間も8時間はほしいです。
何も考えずにぼーっとしたり、ベッドの中でゴロゴロしたりする時間が多いほうが、仕事の調子がいいし、毎日しあわせな気分で過ごせるので、周りの人にも迷惑をかけなくなります。
でも、何も考えずに過ごす時間というのは、手帳には書きにくい。
だから、書きません。
そうすると、手帳は空白だらけになってしまいますが、むしろ空白が多いことが、私にとっても、周りの人にとっても、いい時間の過ごし方になるわけです。
「手帳をぎっしり埋められない」というのは、あなた自身の価値が低い、ということでは絶対にありません。
あなたらしい時間の過ごし方、生き方がそのまま手帳に出てきて、それにこそ価値があるのです。
手帳をぎっしり書いても、書かなくても私の価値は変わらない。
そのとおりニャ!!
さらに空白は「余白」とも言いかえられます。
そこにはまだ気づけていない、新しいアイデアや可能性が眠っています。
だからむしろ手帳には「余白」を作ったほうがいいです。
また、頭の使い方というのは生まれ持った素質だけではなく、体調や環境にも、とても左右されます。
ガシガシ物事を進められる日もあれば、体調がどうにも悪くて寝込む日もあります。
毎日同じように、頭を使っているわけではありません。
手帳が書けなかったからといって、あなたが一生懸命生きていなかった、ということにはなりません。
むしろ「このときは手帳を書けないくらい余裕がなかったのね」という記録です。
余白は私の可能性であり、記録なのね。
名言だニャ!
空白を楽しむというかたもいますね。
せっかくスペースが空いているのだから、絵やデコレーションをするというかたです。
そこに自分の好きなものを詰め込む。
好きなことをやっている時間を詰め込む。
ワクワクした気持ちを詰め込む。
そうしたページは、あとから見ても自分を元気づけてくれますよね。
手帳はあくまで道具です。
道具は自分が使いたいときに、自分が使える範囲で、使いたいように使えばいい。
手帳は自分が書きたいときに、自分が書ける範囲で、書きたいように書けばいいんです。
- ぎっしり埋めることが「手帳を使いこなす」ことではない
- 手帳の紙面は使う人の考えたことや思ったことが外に表れたもの
- 自分にとっての手帳の空白の意味を考える
- 手帳にむしろ「余白」をつくる
- 空白も記録のひとつ
- 空白を楽しむのもひとつの手
やりたいことをやりたいようにやる!
手帳はネコのように自由に気ままに自分らしくニャ!